代表司法書士・行政書士紹介

代表者のプロフィール

代表司法書士 斎藤 竜

img_4914学生時代、コンビニエンスストア(ファミリーマート)でアルバイトをしていたこともあり、就職活動の際は、当時、店舗数増加が続いていたコンビニエンス業界に興味を持つ。コンビニ業界のFC本部であれば、加盟店を経営指導する立場にあり、営業色も強くないであろうと思い、株式会社ファミリーマートに就職した。

店舗配属実習後、スーパーバイザーとして、東京都新宿区早稲田地区7店舗を担当することになる。現場に出て初めて、本部が求める店舗運営をするためには、加盟店の経営者との信頼関係を築き、店舗経営をしてもらう必要があり、そのためには、加盟店の経営者が在籍する時間(早朝、深夜も含む)への店舗訪問、経営者がいない時間帯の店舗運営状況、アルバイトの勤務状況のチェック、その改善事項の経営者への報告等、昼夜、土日祝日を問わず、馬車馬のように営業として働く毎日を過ごす。

当初は、経営者に若造が何を言うといった態度をされることもあったが、日々の店舗経営にやる気を出してもらうため、地域特性に応じて、重点販売強化商品を設定。1週間の販売個数で、全国1位をとってもらうことを繰り返し、信頼関係を構築できるようになる。反面、失敗した時には、売れ残り菓子パン100個を自腹で購入したこともあり。

とある店舗の雇われ店長が交代し、年上女性が後任の店長となる。年上女性に苦手意識があり、営業活動をすればするほど、嫌がられ営業が段々と嫌になり、最後には、女性店長がいない時間を狙って、書類だけを届けるようになる。

「営業とは関係がない仕事につきたい」、
「会社の名前ではなく、自分の名前で仕事がしたい!」
「もっと人の役に立つ仕事がしたい」と思うようになる。

法学部だったこともあり何か、法律系資格はないかと考えていたところ、資格予備校のパンフレットにて一年勉強すれば合格でき、社会の役に立ち、稼げる資格として紹介されていた司法書士の資格を知り、一念発起の上、司法書士の受験勉強を始める。

司法書士が、想像以上に難しい資格と受験勉強を開始して初めて知る。これは会社を辞めて本気で勉強しなければ合格できないと思い、会社を退職し、半分ニート状態になりながら、朝6時から夜9時まで1日15時間、資格予備校と自宅を往復する生活を1年半必死に勉強する毎日を過ごす。当時一人暮らしの極貧生活のため、1週間食費1000円で受験時代を過ごしつつ、何とか司法書士試験に一発合格する。

合格後、大手資格受験予備校TAC(当時は早稲田セミナー)司法書士試験受験予備校の講師を6年間担当。初年度は、80名規模の教室を講座で使用するものの、初回講座の出席者は、8名しかおらず、講座を打ち切られるかもしれないとの焦りを感じつつ、予備校担当者の協力を得ながら、必死に講座を担当。受講生の無料相談等を繰り返し、口コミで徐々に受講生が増え、最終的には生徒数は200人を超え、合格者も輩出するようになる。

予備校講師の傍ら、大手司法書士法人に就職し、同法人の横浜支店開業に伴い支店長を務めることになる。開設当時は、社会問題となっていた債務整理の仕事が多かったことから、事務所開設当初は安定的に成長。新規相談予約の電話がひっきりなしにかかってくる状態となる。従業員の採用を増やし、人員拡大を図るが、徐々に債務整理問題が社会的に解決に向かい始めると、仕事量も減少し始める。そこで、減少しつつある債務整理業務から、安定収入となりえる不動産の登記業務の獲得のため、広告を打ち出すが、全く反響はなく、仕事を受注することはできなかった。

営業方法を模索した結果、紹介から仕事が発生する不動産の登記業務の獲得には、司法書士個人として自分を紹介元に売っていく方法、「飛び込み営業」をして人脈を広げていくしか方法はないと開き直り、1ヶ月100箇所を目標に、新規で飛び込み営業を始める。当初は門前払いを恐れ、飛び込み営業先の入り口に向かうものの、ドアを開くこともできず、何度も営業先の入口周辺をうろうろするといったことを繰り返しつつも、徐々に営業に慣れ出し、会社員時代に培ったお客様ごとの立場にたった会話、提案営業ができるようになると、お客様から声をかけてもらえるようになる。結果、3年で金融機関10支店超、不動産会社10社超、税理士事務所数社の顧客を開拓し、軌道にのる。

その後、プライベートで自分の父がガンを患い胃を全摘出するという出来事が発生。この出来事は、自分の法律家のあり方をもう一度考えるきっかけとなり(幸い手術は成功し、父は元気に自営業で商売をしています)、自分が法律家として、親世代にできることはなんだろう?そう考えたときに「自分が人の役に立ちたい」という自分の本来の想いを思い出しました。

近年、親が残した財産についての相続に関するご相談、高齢で判断能力が衰えた方が所有者である不動産の売却のご相談等を担当することが多くなってきました。こういった時代背景もあり、私は「相続、成年後見制度を利用した、不動産問題解決の専門家となる」という思いから、司法書士事務所リーガルエステートを平成25年2月1日に開業。今まで築き上げたお客様の紹介等で多数のご依頼を受けるようになりました。現在は、「相続後見」業務に力を入れ、相続後見にともなう不動産問題解決に取組中です。

研修・講演実績

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※家族信託の講師も多くご依頼いただいております。
 こちらも併せてご確認下さい。

 http://www.legalestate-kazokushintaku.com/performance/

品川・戸越銀座相続サポートセンター 代表者のプロフィール

センター長 行政書士 斎藤 清佳

img_4776父親が自営業(看板屋)を営んでいましたが、事業が立ち行かず倒産。結果実家が競売にかけられて、なくなるという経験をしました。ここが私の経営の原点です。

この経験から法律を知らないと、生きていく上でとんでもないことになるのではないか?と思い法学部へ入学。その後、行政書士資格を取得。経営数値の管理によって「事業を継続できるようにする」お手伝いをしたいと思うようになりました。

法学部卒業後は、一転して会計の世界に飛び込みました。会計事務所に勤務し、法人・個人の決算のお手伝いをした後、結婚を機に㈱ティップネス(スポーツクラブ)にて財務経理の仕事に携わりました。10年間経理の実務を経験し、経理について全く未経験の方、10名以上に経理実務を教えることに関わりました。

専門用語を使わずに、経理の面白さ、明快さ・お金の持つ「信頼」の意味を伝える仕事はとてもやりがいがあり、私自身も大きく成長を遂げました。

そんな矢先、長い間闘病生活をしていた私の叔母が認知症を発症しました。子どもがいなかった叔母の介護は私の母が行っていました。 叔母は認知症を発症する前は、おしゃれで知的、ユーモアにあふれた素敵な女性でした。それが、人が変わったように、母を攻撃し、財産を盗んだ!と介護の度に言われるような日々が続きました。

次第に母は肉体的、精神的に衰弱し、介護を続けることができなくなってしまいました。叔母の葬儀にも出席できず、私は唯一の親族として、叔母の最期を見送りました。私も、母も、認知症に立ち向かうにはあまりに無防備でした。そのときは、ただただ悲しみ、後悔することしかできませんでした。

その後、行政書士に登録した際、業務の中に「専門職後見人」として活躍している方の記事を読む機会がありました。そしてそれが、認知症の方が、「最期まで、その人らしく、尊厳をもって生きる」という理念のもとにある、と知りました。「あの時必要だったのは、この制度だったのだ!」と自分の中で運命を感じました。

あの時、病院の方でもなく、親族でもなく、専門的知識を持った第三者である後見人が叔母についていたら・・・そう思った時に、私は行政書士として専門職後見人として生きる決意をしました。専門職後見人を法人として受託するNPOライフサポート東京の会員になり、現在は相続後見分野に特化し、業務を行っております。

平成26年4月に事務所を移転し、品川・戸越銀座商店街に相続サポートセンターをオープン。相続、遺言、成年後見について気軽にいつでも相談できるような場所を目指し、活動を続けています。

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