農地を代々所有する地主層にとって、高齢化に伴う「認知症による資産凍結リスク」と「相続税対策」は課題です。その解決策として「家族信託」を活用し、農地にアパートやマンションを建築したいというニーズがあります。
こうした相談は、金融機関の担当者、税理士、不動産コンサルタントなどから我々のような実務家に持ち込まれる機会が多いですが、農地が絡む家族信託は、一般的な自宅や現金の信託とは異なり、難易度が高くなります。なぜなら、「農地法の規制」「銀行の融資審査・抵当権設定のハードル」「税務リスク」というハードルが立ちはだかるからです。
今回の記事のポイントは下記のとおりです。
- 農地法、銀行融資、税務リスクが絡み合うため、法務手続きだけでなく総合的なスキーム設計が必要
- 「停止条件付信託契約」を活用し、農地法許可等の条件成就を待って効力を発生させる
- 融資スキームとしては、(1)受託者名義での許可取得後、信託内借入で建築、(2)親名義で建築・融資後、地目変更を経て信託・債務引受を行う手法がある
- 相続税評価の「5年ルール」や、信託内不動産所得の「損益通算禁止」への理解と対策が不可欠
- 法務、税務、金融機関、建築業者など、各専門家が連携しリスクを明文化した重要事項説明が不可欠
今回の記事では、単なる法務手続きの解説にとどまらず、農地の信託にアパート建築等の「銀行融資」が加わった際に、専門家としてどのようにスキームを設計し、関係各所と調整を図るべきか、実務の最前線で問われる設計・提案方法について、解説します。
目次
1. なぜ「農地の家族信託」はハードルが高いのか?
そもそも、日本の農地は国の食料自給率を維持する観点から「農地法」によって手厚く保護(=厳しく規制)されています。そのため、不動産の所有権を委託者(親)から受託者(子)へ移転させる「信託」という行為自体が、農地法の規制にかかります。
一般的な宅地であれば、信託契約を締結してすぐに法務局で信託登記を行い、受託者名義に変更することができます。しかし農地の場合、農業委員会の許可や届出がない限り、所有権移転の効力は生じず、登記も受理されません。
さらに、ここに「相続税対策としてのアパート建築(多額の銀行借入)」が絡むと、事態は極めて複雑になります。「農地のままでは融資を引けない」「しかし、建物を建てて宅地化しないと農地転用許可が下りない」「親が認知症になったら建築契約も融資契約も結べない」という、ジレンマに陥るのです。これを解きほぐすのが、専門家の腕の見せ所となります。
2. 農地法と家族信託の関係
農地の信託を設計する上で、農地法第3条、第4条、第5条の違いを正確に理解しておくことは必須です。
農地法第3条・4条・5条の違い
・第3条(権利移動):農地を農地のまま(耕作目的で)売買・貸借等をする場合。
・第4条(転用):自分の農地を、自分が家を建てる等の目的で宅地等に転用する場合(権利移動を伴わない)。
・第5条(転用目的の権利移動):農地を宅地等に転用する目的で、売買・貸借・信託等により権利を移動する場合。
家族信託でアパート建築を前提とする場合、委託者(親)から受託者(子)へ権利が移動し、かつ農地から宅地へ転用することになるため、原則として「農地法第5条」の対象となります。
「停止条件付信託契約」が実務のセオリーである理由
前述の通り、農地は農業委員会の許可・届出なしには信託による所有権移転ができません。そこで実務上は「農地法所定の許可または受理を得ること」を効力発生の要件(停止条件)とした信託契約を締結します。
つまり、「契約自体は今日結ぶけれど、実際に信託の効力が発生し、名義が子に変わるのは、将来農業委員会の許可(届出)が下りた時ですよ」というスキームを組むのです。これにより、親の判断能力がしっかりしているうちに契約をし、後日、農地を信託することができます。
3. 最重要チェック項目:対象農地の「区域」と「種別」
相談を受けたら、まず真っ先に調査すべきは対象農地の「都市計画法上の区域」と「特別な指定の有無」です。ここを見誤ると、スキーム全体が根底から覆ります。
市街化区域(届出)か、市街化調整区域(許可)か
・市街化区域
すでに市街化されている、あるいは優先的に市街化を図る区域です。この区域内の農地であれば、農業委員会への「届出」のみで転用が可能です。行政の手続きとしては比較的スムーズであり、信託スキームも組みやすいと言えます。
・市街化調整区域
市街化を抑制すべき区域です。この区域での転用には都道府県知事等の「許可」が必要となりますが、原則としてアパートなどの収益物件の建築は許可されません。特別な事情がない限り、建築を前提とした信託は不可能と考えた方が無難です。
「生産緑地」に指定されていないか
市街化区域内であっても油断は禁物です。対象地が「生産緑地」に指定されている場合、建築制限がかかっており、原則としてアパート建築はできません。 生産緑地の指定を解除(買取り申出等)するには、「主たる従事者の死亡・故障」や「指定から30年(または特定生産緑地として延長期間)経過」などの要件を満たす必要があります。信託契約を結ぶ前に、そもそも指定を解除できるタイミングなのか、確認が不可欠です。
4. 農地信託とアパート建築(銀行融資)のスキーム
ここからが本題です。アパート建築に伴う銀行融資をどのタイミングで、誰の名義で引くか。実務上、主に2つのパターンが存在します。
パターン①:受託者名義で許可取得後に建築・融資
これが本来あるべき王道のスキームです。
・親(委託者)と子(受託者)で停止条件付信託契約を締結する。
・子(受託者)が主導してハウスメーカー等と建築請負契約の仮契約を結ぶ。
・農業委員会へ農地法第5条の届出(または許可申請)を行う。
・受理(許可)された時点で信託の効力が発生。農地を受託者名義へ変更(信託登記)。
・受託者名義で銀行から「信託内借入」を行い、受託者名義でアパートを建築する。
早期に受託者名義へ移行するため、建築期間中(半年〜1年以上)の親の認知症リスク、死亡リスクを回避できるのが最大のメリットです。 しかし、このスキームの最大の障壁は「金融機関の融資承認」です。銀行側からすると、「まだ農地の状態(担保価値が低い)の土地に対し、受託者という別名義人の箱(信託財産)に対して億単位の融資を行う」ことになります。信託契約書の内容(受託者の借入権限、担保提供権限の明記)の審査はもちろん、「信託融資」など、金融機関の法務部を巻き込んだハードな折衝が要求されます。
パターン②:親名義で建築・融資後、建物完成後に信託+免責的債務引受
専門家に相談が持ち込まれるタイミングが遅く、すでに親名義でアパートの建築計画が走り出してしまっているケースで採用されることが多い代替案(事後対応型)です。
1.親名義のまま農地法第4条の手続きを進める。
2.親名義で銀行と金銭消費貸借契約を結び、親名義で建築を着工する。
3.建物が完成し、土地の地目が「宅地」に変更された後に、土地・建物を家族信託する。
4.親が背負っているアパートローンを、受託者(子)が信託財産として「免責的債務引受」を行う。
「相談を受けた時点で、すでに親名義で請負契約や建築確認申請、さらには着工まで進んでしまっており、今から受託者名義での手続き(パターン①)に巻き直すことはスケジュール的に不可能」という、実務でよくあるシチュエーションを救済できる手法です。銀行にとっても「従来の親名義でのアパートローン」の延長線上にあるため、融資の稟議は通りやすい傾向にあります。
ただし、建物が完成して信託登記を入れるまでの間(着工から半年〜1年)、親の判断能力が維持され、かつ生存していることが条件となります。建築途中で親が重度の認知症になれば、追加の融資実行や建物の引渡し・登記ができず、計画が頓挫するリスクを孕んでいます。
5. 農地信託に潜む「税務」の注意点
農地の信託スキームを構築する際、法務担当者(司法書士など)が陥りやすいのが「税務の落とし穴」です。必ず税理士とチームを組んで進める必要があります。
令和8年度税制改正大綱「5年ルール」
相続税対策としてアパート建築を行う際、令和8年度(2026年度)の税制改正大綱で示された「貸付用不動産の評価方法の見直し(いわゆる5年ルール)」には最大限の注意を払う必要があります。
概要としては、「相続開始前5年以内に取得・新築した賃貸用不動産は、従来の路線価等に基づく評価ではなく、取得価額を基にした通常の取引価額(市場価格の約80%相当)で評価される」というものです。
※制度が開始される日(令和9年1月1日を予定)より前に、被相続人等がその所有する土地(同日の5年前から所有しているものに限る。)に新築をした家屋には適用されません。
つまり、高齢の委託者(親)が信託スキームを利用してアパートを建築したものの、完成後5年以内に相続が発生してしまった場合、想定していたような大幅な相続税評価額の圧縮効果が得られないリスクが高まっています。専門家としては、家族信託のスキーム構築が可能な場合であっても、「完成後5年以内に相続が発生した場合の評価額の上昇リスク」を顧客に事前に伝達し、それでも実行するかの了解を得ることが必要です。
専門家としては、顧客の土地の取得時期や建築スケジュールを確認し、この経過措置に該当するかどうかの見極めも重要となります。
不動産所得の「損益通算禁止」規定によるデメリット
信託財産から生じる不動産所得の損失(赤字)は、個人の他の所得(給与所得や他の不動産所得など)と合算(損益通算)することができない、という税務上の厳しいルールがあります(租税特別措置法第41条の4の2)。 アパート建築の初年度は、登録免許税や不動産取得税、借入金の利息、減価償却費などが多額に発生し、帳簿上は大きな赤字になるのが通常です。通常の所有であれば、この赤字を使って給与所得などを圧縮することができますが、信託財産内のアパートではこれが一切できません。このキャッシュフローの悪化を事業計画に織り込んでおく必要があります。
6. 専門家の説明責任とリスク回避
農地法、銀行融資、税務が絡み合うこのスキームは、一度ボタンを掛け違うと大きな損害賠償問題に発展しかねません。我々専門家は、顧客に対して全体像やリスクを明文化した「重要事項説明書」を交付し、書面で承諾を得ることが必須です。
【重要事項説明書に盛り込むべき主なリスク項目】
- 許認可リスク
農業委員会の許可・届出が下りない場合、信託の効力が発生せず、計画が白紙になること。 - 融資否決リスク
金融機関の最終審査で融資が否決された場合、受託者が建築代金を支払えなくなるリスクがあること(融資特約の明記)。 - 税務リスク
アパート完成後5年以内に相続が発生した場合など、税制改正による評価額増大で当初見込んだ節税効果が得られないリスク。また、経過措置が適用されない場合のリスク。
損益通算禁止による初年度の税務上の不利益や、不動産取得税等の課税リスク - 親の判断能力喪失リスク(パターン②の場合)
建物完成前に親が意思能力を喪失した場合、手続きが完全にストップするリスク
これらを事前に説明することで、顧客との間に強固な信頼関係を築き、後々のトラブルから専門家自身(そして紹介元の金融機関や税理士)を守る防衛策となります。
まとめ
- 農地法、銀行融資、税務リスクが絡み合うため、法務手続きだけでなく総合的なスキーム設計が必要
- 「停止条件付信託契約」を活用し、農地法許可等の条件成就を待って効力を発生させる
- 融資スキームとしては、(1)受託者名義での許可取得後、信託内借入で建築、(2)親名義で建築・融資後、地目変更を経て信託・債務引受を行う手法がある
- 相続税評価の「5年ルール」や、信託内不動産所得の「損益通算禁止」への理解と対策が不可欠
- 法務、税務、金融機関、建築業者など、各専門家が連携しリスクを明文化した重要事項説明が不可欠
農地と融資が絡む家族信託は、決して司法書士や弁護士といった法務専門家だけで完結できる業務ではありません。多くの関係者の役割を調整し、スキームが頓挫しないようスケジュールを管理し、法的な安全性を担保する、それこそが、農地信託における専門家の仕事です。 難易度の高い案件ではありますが、これを設計、提案できればお客様の資産承継に貢献ができ、他士業や金融機関からの信頼を得ることができます。
【士業・専門家のためのゼロから始める家族信託契約書解説セミナー】

家族信託は、お客様のニーズに合わせた柔軟な対策が可能な一方、オーダーメイドの契約書作成には経験とノウハウが不可欠です。特に事業承継が絡む案件では、一つの条項の抜け漏れが、会社の存続を揺るがす事態や、意図せぬ課税リスクを引き起こしかねません。
「これから家族信託を業務に取り入れたい」
「顧問先の事業承継に信託を活用したいが、契約書の起案に不安がある」
「リスクを回避できる確実なスキーム設計を学びたい」
そのような士業・専門家の皆様に向けて、家族信託組成数400件を超えるリーガルエステートが、最新の実務情報と契約書作成のポイントを解説するセミナーを開催いたします。
<セミナーでお伝えする主な内容>
・間違った信託契約書を作成した場合の3つのリスク
・無駄な税金を払わず、口座凍結を防ぐための契約スキーム徹底解説
・自益信託と他益信託の注意点(想定外の課税リスク)
・自社株や不動産を扱う際の、絶対にもれてはいけない契約条項
・適切な資産承継を実現するための「出口戦略」の描き方
実務に直結する生きたノウハウをお伝えします。顧問先への提案力を高め、他の士業と差別化を図りたい先生方のご参加をお待ちしております。
【「言った・言わない」の紛争を防ぐ!重要事項説明書実務基礎セミナー】

本文でも触れた通り、将来の親族間トラブルや専門家への責任追及リスクを防ぐための「重要事項説明書」と「同意書」の活用が必須です。
「リスクの説明をどこまで行えばいいのか分からない」
「お客様と『言った・言わない』のトラブルになるのが怖い」
「ゼロから重要事項説明書の項目を考える時間と労力がない」
このようなお悩みを解決するため、生前対策コンサルの第一人者である斎藤竜が、膨大な実務経験から導き出した「説明責任を果たすための一連の業務プロセス」をお伝えするセミナーも開催しています。
<セミナーでお伝えする主な内容>
・ひな形を用いた記載例の徹底解説(税務リスク、当事者の役割・義務、終了手続き、金融機関対応など)
・「言った・言わない」を防ぐ効果的な説明と記録のポイント
・顧客が納得する!説明を行うべきベストなタイミングとは?
・説明すべき最重要項目を網羅したセミナーレジュメの公開
万が一の際も、顧客の署名・捺印がある客観的な「証拠」を手元に残し、自信を持って「説明責任は果たした」と言い切れる「守りの実務」を習得できます。
[otw_is sidebar=otw-sidebar-1]

























