外国籍の依頼者から、不動産購入の決済や、日本法人の役員就任に関する登記手続きの相談を受ける場面は、もはや実務において増えてきました。こうした場面で我々専門家が直面するのが、一見すると単純ながら、実は悩ましい「氏名の表記」という論点です。
特に、外国人の氏名をどの様にカタカナに変換し、登記記録に反映させるかという問題は、明確な法令上の基準が存在しない中で、実務上の判断が求められる悩ましい領域でした。
さらに、2024年4月1日に施行された不動産登記法の改正は、この実務に大きな変更をもたらしました。
今回の記事のポイントは下記の通りです。
- 外国人登記における氏名表記は、登記記録の統一性と検索性を日本語で確保する観点から、カタカナ表記が基本原則となる。
- カタカナ表記の決定は、まず住民票や印鑑証明書といった公的書類の記載を最優先し、それらが存在しない場合は、本人への聴き取りを通じて原音を忠実に再現することが求められる。
- 商業登記においては、引き続き従来のカタカナ表記のみの原則が維持される。一方で、不動産登記では2024年4月1日より、所有者が外国籍個人の場合、ローマ字氏名の併記が義務化された。
- 不動産登記におけるローマ字併記は、所有権の登記名義人に限られ、抵当権者など他の権利者や、外国法人が所有者となる場合には適用されない。
- ローマ字氏名を証明する情報として、国内在住者は「住民票の写し」、海外居住者は「旅券の写し」が原則となり、依頼者の状況に応じた適切な書類の準備が不可欠である。
- 漢字圏の氏名であっても、日本の登記制度で使用できない漢字(簡体字など)が含まれる場合は、カタカナ表記に変換する必要がある。
本記事では、この複雑化する外国人関与の登記実務について、改めてその基本原則から2024年の法改正のポイントまでを体系的に整理し、解説します。
目次
1.総論|外国人登記における氏名表記の基本原則
渉外登記実務の第一歩として、我々専門家がまず向き合うのが、依頼者の本人確認書類、多くの場合、アルファベットで氏名が記載された旅券(パスポート)です。
このとき、「なぜこのアルファベット表記のまま登記することはできないのか」という素朴な依頼者からの質問に突き当たります。この問いへの答えは、日本の登記制度が持つ根本的な性格と、それに伴う長年の実務運用の中にあります。
1-1. カタカナ表記が原則とされる理由
まず、なぜ外国人の氏名登記においてカタカナ表記が基本原則とされているのか、その背景から確認します。これは、日本の登記制度が、元来日本人を対象とし、日本語による記録の統一性と検索性を前提に構築されていることに起因します。
例えば、全国の登記所において、アルファベットの大文字・小文字、スペースの有無、ミドルネームの略称など、表記が無数に存在しうると、特定の個人を正確に探し出すことが極めて困難になります。日本の登記制度は、このような不便を排し、誰でも安定して情報を検索できることを重視しているのです。
このような制度の趣旨から、たとえ氏名が本人にとって重要な人格権の一部であるとしても、登記記録においては日本語(漢字およびカタカナ)による表記が求められます。したがって、アルファベットを氏名の基礎とする外国籍の依頼者の場合、その氏名を日本語の表音文字であるカタカナに変換した上で、登記申請を行うのが実務上の大原則となります。
1-2. カタカナ表記の決定手順
次に、実務上最も判断に悩む、具体的なカタカナ表記の決定手順についてです。この点について明確な基準を定めた法令は存在しませんが、実務は以下の優先順位に基づいて行われます。
(1) 公的書類(住民票・印鑑証明書)の確認
最も優先されるべきは、日本の公的機関が発行する証明書上の記載です。依頼者が日本国内に住所を有する中長期在留者である場合、その住民票の写しや印鑑証明書を取得します。
これらの書類に「通称」としてカタカナ氏名が記載されていれば、原則としてその表記を正本とします。これは、公的書類に基づく表記が、第三者に対する本人特定において最も客観性が高いと判断されるためです。
(2) 公的書類に記載がない場合の対応(本人への聴き取り)
依頼者が海外居住者である場合や、国内在住者であっても住民票に通称名の記載がない場合は、次善策を講じる必要があります。この場合、専門家は本人に直接氏名の発音を確認し、その原音に可能な限り忠実なカタカナ表記を検討します。
【注意点】 本人への聴き取りに基づく表記は、客観的な証明に乏しいという側面があります。例えば「David」を「デビッド」とするか「デイビッド」とするかといった微細な違いが、将来の本人確認において問題となる可能性もゼロではありません。
カタカナ表記の決定は、単なる音訳作業ではありません。特に本人への聴き取りで表記を決める際は、なぜその表記を選択したのか、後からでも説明できるよう経緯を記録しておくことが、専門家としてのリスク管理につながります。
また、依頼者に対しては、『なぜ旅券通りのアルファベットで登記できないのか』という疑問を持たれることが多いため、登記制度の背景を丁寧に説明し、納得を得ておくことが円滑な手続きの鍵となります。
2.【各論】登記種類別の氏名表記ルール
外国人関与の登記と一括りに言っても、商業登記と不動産登記では、氏名表記に関するルールが一部異なります。特に2024年4月の改正により、その差異はより明確になりました。
実務上、この二つのルールを混同することは、手続きの遅延や場合によっては申請の却下にもつながりかねないため、専門家としてはその違いを正確に把握しておく必要があります。
そこで、まずは両者の相違点を明確にするため、以下の表でその要点を比較してみましょう。
| 比較項目 | 商業登記(役員就任など) | 不動産登記(所有権取得) |
| 氏名表記の原則 | カタカナ表記のみ | カタカナ表記(または漢字) |
| ローマ字併記の要否 | 不要 | 必要(対象者に該当する場合) |
この前提に立った上で、それぞれの登記における具体的なルールを以下で詳しく見ていきましょう。
2-1. 商業登記における氏名表記
株式会社の取締役や合同会社の代表社員など、法人の役員として外国籍の方が就任する商業登記においては、従来のカタカナ表記の原則が維持されます。 2024年4月の不動産登記に関する改正は、商業登記には影響を及ぼしません。
したがって、商業登記の申請においては、第1部で述べた手順に基づき決定したカタカナ氏名を記載します。特に、代表取締役の就任登記などで印鑑証明書を添付する場合、その印鑑証明書上の氏名表記と、登記申請書に記載するカタカナ表記が完全に一致しているかを確認することが極めて重要です。
2-2. 不動産登記における氏名表記(2024年4月改正の反映)
不動産登記の分野では、2024年4月1日以降の申請において、氏名表記に関する重要な変更が加えられました。これは、主に旅券(パスポート)等の本人確認書類との照合を容易にし、取引の安全性を高めることを目的としています。
(1) ローマ字併記が必要となる対象者と対象権利
【重要】 ローマ字氏名の併記が義務化されるのは、以下の全ての要件を満たす場合に限られます。
- 対象者: 外国籍の個人であること(外国法人は対象外)
- 対象権利: 所有権の登記名義人となること
具体的には、売買や相続によって不動産の所有者となる外国籍個人が対象です。したがって、同じ不動産登記であっても、抵当権者として登記される場合や、賃借権者として登記される場合には、ローマ字併記は不要(かつ、認められない)とされています。
(2) ローマ字併記の具体的な記載方法
ローマ字併記は、登記記録の氏名欄そのものではなく、氏名に付随する「補足事項」として記録されます。登記申請書における記載方法は以下の通りです。

- 登記名義人の氏名欄: 従来通り、決定したカタカナ氏名(または漢字氏名)を記載します。(例:ジョン・スミス)
- ローマ字氏名の記載箇所: 申請書の「登記名義人の氏名のフリガナ」を記載する欄の下などに、「ローマ字氏名(JOHN SMITH )」のように記載します。
この取扱いの詳細は、法務省から発出された通達(令和6年3月22日付法務省民二第552号)によって示されており、専門家として一度は目を通しておくべきでしょう。
3. 【書類準備編】ローマ字氏名の証明情報と国籍圏別の注意点
氏名表記を決定し、登記申請を行うにあたり、その表記が正しいことを証明する書類の準備が不可欠です。ここでは、国籍圏別の注意点と、特に不動産登記で必要となるローマ字氏名の証明情報について整理します。
3-1. 国籍圏別のカタカナ表記・実務上のヒント
- 英語圏: 姓名の順序は、日本の慣習に合わせて「姓→名」の順に並べ替える必要があります。姓と名の間はスペース(空白)が認められないため、「ジョン・スミス」や「ジョン、スミス」、「ジョンスミス」のように、「・」「、」で区切るか、続けて記載します。ミドルネームについては、含めても省略しても、どちらの実務も認められています。依頼者の意向を確認し、旅券等の表記と整合性を図りながら決定します。
- 漢字圏: 氏名が漢字で構成されている国籍(中国、韓国など)の場合、その漢字が日本の登記制度で使用可能な文字(常用漢字、人名用漢字など)であれば、漢字での登記が可能です。しかし、中国の簡体字など、日本では通用しない文字が含まれている場合は、たとえ漢字圏であっても、その氏名をカタカナ表記に変換する必要があります。
3-2.ローマ字氏名を証明する必要書類
不動産登記でローマ字氏名を併記する際に、その綴りが本人のものであることを証明する情報として、以下のいずれかの書類が必要となります。
- 場合1:国内在住者(住民票がある場合)
- 必要書類: ローマ字氏名が記載された住民票の写し
- 解説: 中長期在留者の住民票には、原則として在留カードに基づいたローマ字氏名が記載されています。これが最も基本的な証明情報となります。
- 場合2:海外居住者(住民票がない場合)
- 必要書類: 旅券(パスポート)の写し
- 解説: 申請日において有効期間内である旅券の、氏名や写真が記載されているページの写しが必要です。この写しには、依頼者本人が「原本と相違ない」旨を記載し、署名または記名押印する必要があります。登記完了後、この写しは原本還付の手続きが可能です。
- 場合3:旅券がない場合の代替手段
- 必要書類: 上申書
- 解説: 稀な場合ですが、何らかの事情で旅券を所持していない場合は、「ローマ字氏名が〇〇であることに相違なく、現在旅券を所持していません」といった内容を記載し、本人が署名または記名押印した上申書を提出することで、証明情報とすることができます。
- 宣誓供述書を用いる場合
- 海外居住者の住所証明情報として、本国の公証人が作成した本人のパスポートのコピーと一体となった宣誓供述書を用いることがありますが、この宣誓供述書にローマ字氏名の記載があれば、別途旅券の写しを添付せずとも、ローマ字氏名の証明情報を兼ねることができます。




























